Last updated: 2008/11/13 by MATSUURA Takashi
ギリシア人の弁論好きは有名であり、すでにホメーロスにその例が見られる。『イーリアス』第9巻の、アキッレウスへの使者の場面、悲劇の使者のせりふ、トゥーキューディデースの中のペリクレースの葬送演説など、ジャンルを問わず、弁論・雄弁術が用いられている。
もともと弁論は理論ではなく実践によって身につけるものであったが、紀元前5世紀の中頃のシチリアで、コラクス(Κόραξ; Corax)やその弟子のテイシアース(Τεισίας; Tisias)によって弁論「術」(ῥητορική [sc. τέχνη])としての研究が始まった。
Arist. Rhet. 1414a30--1414b18(3.13)による。
弁論はアリストテレースや、その後の修辞学者によって次の3種類に区分されている。以下は Arist. Rhet. 1358b7--8(1.3)による。
議会弁論は民会(ἐκκλησία; ecclesia; Assembly)で行われる弁論、法廷弁論は法廷(δικαστήρια; law-courts)で行われる弁論のことである。これに対して演示弁論は、公共の祭礼(public ceremony)の際に聴衆を前にして、賞賛や非難をする目的で行われる弁論のことである。有名な演示弁論の例としては葬送演説(ἐπιτάφιος [sc. λόγος]; epitaphios)がある。アテーナイでは前年に戦争で死んだ者たちのための葬礼(funeral ceremony)が毎年行われており、そこで彼らを賞賛するための演説が行われた。
我々に今日伝えられているアッティカの10人の弁論家の作品のうちでは、法廷弁論が圧倒的に多い。議会弁論は比較的少なく、演示弁論はわずかである。法廷弁論は10人すべてにあるが、議会弁論はほぼアンドキデース、イソクラテース、デーモステネースに限られる。演示弁論のうち、有名なものは、ヒュペレイデースの葬送演説である(Hyp. 6)。