[[eLearning/Greek]]

*Bacchylides(バッキュリデース) [#j502f5a4]

>Last updated: 2008/09/10 by MATSUURA Takashi

-Βακχυλίδης
-Bacchylides (Lat., Engl.)
-Bakchylides (Dt.)
-Bacchylide (Fr.)
-バッキュリデース
-バキュリデース
-バキュリデス
-バッキュリデス

**作家略号 [#xda55fca]

-''LSJ'' B.

**バッキュリデースについて [#x8fc398d]

-[['''Suda''' s.v. Bacchylides:http://www.stoa.org/sol-bin/search.pl?searchstr=Bacchylides]]

ケオース島(Κέως; Ceos)のイウーリス市(Ἰουλίς; Ioulis)の出身。メドーン(Μέδων; Medon)あるいはメイドーン(Μείδων; Meidon)の息子。運動選手バッキュリデースの孫。抒情詩人シモーニデース(Σιμωνίδης; Simonides)の甥。

生没年ははっきりしない。年代が推測できる作品は次の通りである(一部)。

:B. 13|おそらく485年か483年。
:B. 6, 7|452年。
:B. 3|468年。

B.3 はオリュンピア競技会でのヒエローン(シュラクーサイの僣主)の勝利をたたえて作られたものであり、おそらくこれをもとにエウセービオス(Eusebius)は『年代記』((元のギリシア語は断片でしか残っていないが、ラテン語とアルメニア語の翻訳が残されている。)) において彼の盛年(ἀκμή; acme)を468/7年としている。『年代記』では2つ目の年代として451/0年が挙げられているが、これは没年を表していると考えるのが適当である。

**作品と校訂本 [#kaab8e14]

バッキュリデースの作品はおそらくアレクサンドレイアの図書館で、詩の形式ごとに、9巻に分けられていたと考えられる。しかし、不幸にして19世紀も終わりを迎えるまでは100行程度の引用断片しか残されていなかった。1896年にエジプト考古学の Sir Wallis Budge がバッキュリデースのパピルスを法外な値段で購入してイギリスに持ち帰ると、Kenyon は早速それを校訂して出版した。

したがって Kenyon によるものが初版本(editio princeps)である。それに続いて Blass による校訂本が Bibliotheca Teubneriana から1898年に出ている。最初の本格的な注釈としては1905年に出版された Jebb のものが挙げられる。

現在もっとも権威のある校訂本は2003年に出版された、Maehler による Bibliotheca Teubneriana のものである(未見)。これは「第11版」とされている。Bibliotheca Teubneriana で出されたものは (Blass ->) Suess -> Snell -> Maehler と改訂されている扱いになっているからである(下の参考文献参照)。

注釈としてもっとも優れているものは1982--97年に出版された Maehler, '''Die Lieder des Bakchylides''' であり、その一部が選集として2004年に英訳されている。他に、個々の断片の注釈がいくつも出ている。

**番号づけ [#o25ae28b]

Bacch. 7, 8 は、Kenyon は別の2つの作品としているが、Blass は同一の作品が2つの断片に分かれてしまったものとして、1つの作品として扱っており、Jebb もそれに従っている。これにより、バッキュリデースの作品の番号づけに、主に2つの方法が存在することになる。現在は Maehler の番号づけによるのが一般的である。

**個々の断片について [#pa7cf028]

-[[B. 11>eLearning/Greek/Bacchylides/11]]
-[[B. 13>eLearning/Greek/Bacchylides/13]]

#include(eLearning/Greek/Bacchylides/Biblio,notitle)

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