[[eLearning/Latin]] *Drama [#i9841c2f] **悲劇 [#y86c67e3] ローマの''悲劇''(tragoedia)は次の2種類に分かれる. |~ |~ラテン語|~日本語|~備考| |1|'''fabula crepidata'''|クレピダ劇|ギリシア悲劇を模倣したもの| |2|'''fabula praetexta''' ('''praetextata''')|トガ・プラエテクスタ劇|ローマの歴史に題材を求めたもの| トガ・プラエテクスタ劇はナエウィウスが発明したものと言われ,神話の代わりにローマの歴史を扱ったものである.このジャンルの唯一の完全残存作品は[セネカ]『オクターウィア』('''Octavia''')である. ローマの代表的な悲劇作家は以下の通りである. -[[リーウィウス・アンドロニークス>eLearning/Latin/LiviusAndronicus]] -[[ナエウィウス>eLearning/Latin/Naevius]] -[[エンニウス>eLearning/Latin/Ennius]] -[[パークウィウス>eLearning/Latin/Pacuvius]] -[[アッキウス>eLearning/Latin/Accius]] -[[セネカ>eLearning/Latin/Seneca]] **喜劇 [#s5237eeb] ローマの''喜劇''(comoedia)は次の4種類に分かれる. |~番号|~ラテン語|~日本語|~略号('''OLD''')|~備考| |1|'''fabula palliata'''|パッリウム劇|'''pall.'''|| |2|'''fabula togata'''|トガ劇|'''tog.'''|| |3|'''fabula Atellana'''|アテッラ劇|'''Atel.'''|| |4|'''mimus'''|マイム|'''mim.'''|| ローマの代表的な喜劇作家は以下の通りである. -[[ナエウィウス>eLearning/Latin/Naevius]] -[[プラウトゥス>eLearning/Latin/Plautus]] -[[エンニウス>eLearning/Latin/Ennius]] -[[テレンティウス>eLearning/Latin/Terentius]] -[[デキムス・ラベリウス>eLearning/Latin/LaberiusDecimus]](ミームス) -[[デキムス・ラベリウス>eLearning/Latin/LaberiusDecimus]](マイム) **ローマの祭礼 [#teda8308] 紀元前3世紀末に行われていた主な祭礼(ludi)は以下の6つである. |~番号|~名称(和)|~名称(ラ)|~時期|~奉納|~開始|~備考| |1|ローマ祭|Ludi Romani (Ludi Magni)|9月|Iuppiter, Iuno, Minerua||劇上演の開始は紀元前364年,悲劇・喜劇の開始は紀元前240年.| |2|フローラ祭|Ludi Florales|3--4月|Flora|241 (238) BC|Vell. Pat. 1.14.8, Plin. '''HN''' 18.286.毎年開催は紀元前173年から(Ov. '''Fast.''' 5.295--330).| |3|平民祭|Ludi Plebeii|11月|Iuppiter|220 BC|劇は紀元前200年開始(Pl. '''St.''').| |4|アポッロー祭|Ludi Apollinares|7月|Apollo|212 BC|劇は紀元前212年開始,毎年開催は紀元前208年から.| |5|メガレシア祭|Ludi Megalenses|4月|Magna Mater (Cybele)|204 BC|劇は紀元前194年開始(Liv. 34.54).紀元前191年からはパラティーヌスの丘に完成したキュベレー神殿で上演された.| |6|ケレース祭|Ludi Ceriales|4月|Ceres, Liber, Libera|201 BC|Liv. 30.39.8.| 少なくとも紀元前3世紀の終わりには3月17日のリーベル祭(Liberalia)の一部として劇が上演されていたらしい(Naev. '''com.''' 112 R);紀元前186年の元老院布告によると,バックス教弾圧のため,4月のケレース祭に統合されたらしい. 祭礼では様々な娯楽が提供された.ボクシング競技,戦車競技(ludi circenses),狩猟競技(uenationes)などである. 劇上演(ludi scaenici)は戦車競技と同様,宗教的な役割を持っていた.つまり,神々のための開催された.劇上演に含まれるのは,喜劇・悲劇・アテッラ劇だけとは限らず,音楽・舞踊・マイム(mimus)もあった.ローマのマイムは現代のものと異なり,せりふがあり,仮面を用いず,台本のない茶番劇であった.他のものと異なり,女優(mimae)がおり,性的な話題を扱うことも許されていた.マイムはアテッラ劇と同様,紀元前1世紀以降は喜劇の韻律を用い,文学的な形式を取るようになり,文字に残されるようになった. #include(eLearning/Latin/Drama/Biblio,notitle)