[[eLearning/Greek]]

*Orationes(弁論) [#nd5201a4]

>Last updated: 2008/11/5 by MATSUURA Takashi

**アッティカの10人の弁論家たち [#v847ddc0]

-οἱ δέκα ῥήτορες
-οἱ ιʹ ῥήτορες
-The Ten Attic Orators
-The Canon of the Ten Attic Orators

|~Lat.|~Gr.|~名前|~Abbr. in LSJ|~生没年|~備考|
|[[Antipho>eLearning/Greek/Antipho]]|Ἀντιφῶν|アンティポーン|Antipho|ca.480 -- 411||
|[[Andocides>eLearning/Greek/Andocides]]|Ἀνδοκίδης|アンドキデース|And.|ca.440 -- ca.390||
|[[Lysias>eLearning/Greek/Lysias]]|Λυσίας|リューシアース|Lys.|ca.445 -- ca.380||
|[[Isocrates>eLearning/Greek/Isocrates]]|Ἰσοκράτης|イソクラテース|Isoc.|436--338||
|[[Isaeus>eLearning/Greek/Isaeus]]|Ἰσαῖος|イーサイオス|Is.|ca.415 -- ca.340||
|[[Demosthenes>eLearning/Greek/Demosthenes]]|Δημοσθένης|デーモステネース|D.|384--322||
|[[Aeschines>eLearning/Greek/Aeschines]]|Αἰσχίνης|アイスキネース|Aeschin.|ca.395 -- ca.322||
|[[Hyperides>eLearning/Greek/Hyperides]]|Ὑπερείδης|ヒュペレイデース|Hyp.|390--322||
|[[Lycurgus>eLearning/Greek/Lycurgus]]|Λυκοῦργος|リュクールゴス|Lycurg.|ca.390 -- ca.324||
|[[Dinarchus>eLearning/Greek/Dinarchus]]|Δείναρχος|デイナルコス|Din.|ca.360 -- ca.290|コリントス生まれ|

Ruhnken 以来、この10人は紀元前3世紀から紀元後2世紀の間に選ばれたと考えられてきた。

+アレクサンドレイアの図書館員たちによって(紀元前3--2世紀)
+ペルガモン(アッタロス朝ペルガモン王国の都)の修辞学者たちによって(紀元前2世紀)
+カラクテーのカイキリオスによって(紀元前1世紀の終わり)
+クィンティリアーヌス(紀元後1世紀)
+ヘルモゲネース(紀元後2世紀)

おそらくキケローはこの10人が選ばれたことを知らず、クィンティリアーヌスは知っていると考えられることから、紀元前1世紀から紀元後1世紀の可能性が高い。また、ハリカルナッソスのディオニューシオスはこの10人が選ばれていることを知らないと考えられることから、それ以後の可能性が高い。Ian Worthington は、カラクテーのカイキリオス(Caecilius Calactinus)がこの10人を選んだと考えている((I. Worthington, `The Canon of the Ten Attic Orators', in id. (ed.), '''Persuasion: Greek Rhetoric in Action''' (London, 1994), 244--263.))。

これらの弁論家の順番は必ずしも同じではない。

:[[Hermog.>eLearning/Greek/Hermogenes]] 2.11|Demosthenes, Lysias, Isaeus, Hyperides, Isocrates, Dinarchus, Aeschines, Antipho, '''Critias''', Lycurgus, Ancdocides
:[Plut.] '''X.Or.''' (832B--850E)|Antipho, Andocides, Lysias, Isocrates, Isaeus, Aeschines, Lycurgus, Demosthenes, Hyperides, Dinarchus
:[[Phot.>eLearning/Greek/Photius]] '''Bibl.''' 259--268|Antipho, Isocrates, Andocides, Lysias, Isaeus, Aeschines, Demosthenes, Hyperides, Dinarchus, Lycurgus

-Ruhnken, D., `Historia critica oratorum Graecorum', in, '''P. Rutilii Lupi De figuris sententiarum et elocutionis''' (Leiden, 1768), XCV. = [Plut.] '''X.Or.'''

***`Canon' [#of0956af]

`Canon'(κανών)という言葉は、Ruhnken が1768年に定義して以降、使われだしたものである。

**年表 [#t4907d15]

戦争(の開始と終結)は''太字''になっています。

|~年|~できごと|~解説|
|431|''ペロポンネーソス戦争開始''||
|404|''ペロポンネーソス戦争終結''||
|395|''コリントス戦争開始''||
|387|''コリントス戦争終結''||
|378/7|第2次アテーナイ海上同盟|スパルターとペルシアに対抗する。|
|371|''ボイオティア戦争開始''||
|362|''ボイオティア戦争終結''||
|359|ピリッポスII世即位|マケドニアーの勢力が拡大し始める。|
|357|''同盟市戦争開始''|アテーナイとその同盟市と、キオス・ロドス・コースなどの間で戦争が起こる。|
|356|''第3次神聖戦争開始''|隣保同盟(Amphictyonia)を破ってポーキスがデルポイを占領する。|
|355|''同盟市戦争終結''|マケドニアーがアテーナイ側のアンピポリスを占領し、ペルシアの介入により戦争は終結する。|
|346|''第3次神聖戦争終結''|テッサリアーの要請でマケドニアーが介入し、ポーキスを制圧して戦争が終わる。|
||ピロクラテースの和平|マケドニアー、アテーナイ間の和平が成立する。|
|338|カイローネイアーの戦い|8月2日にマケドニアーがアテーナイ・テーバイ連合軍を破り、はじめテーバイを、次にアテーナイを攻め、実質的にギリシアの大部分を支配するに至る。|
|337|コリントス同盟|ピリッポスII世がスパルター以外の全ポリスを招集して成立させた同盟。各ポリスに名目上の独立を認めたが、実態としてはギリシアを従属させるものとなった。|
|336|ピリッポスII世暗殺|ギリシアではピリッポスII世の死に狂喜する。|
||アレクサンドロス大王即位|スパルターを除く全ギリシアにコリントス同盟を再確認させる。|
|335||テーバイがペルシアの援助を受け、またはじめはアテーナイの支援も受けてマケドニアーに反乱を起こすがすぐに鎮圧される。テーバイに対して厳しい罰が加えられたため、ギリシアには反乱を起こす気をなくさせた。|
|334|ペルシア遠征|アレクサンドロス大王がペルシア遠征に出発する。ギリシアとマケドニアーはアンティパトロスに任せる。|
|331||スパルター王アギスIII世がマケドニアーへの戦争を試みるが、従ったのはペロポンネーソス半島の少数の国だけであり、翌年にはアンティパトロスが戦争を終結させる。|
|324|ハルパロスの亡命||
|323|アレクサンドロス大王死去||
||''ラミア戦争''|ギリシア側がマケドニアーを破る。|

***弁論家に関わる年表 [#a467fb6a]

|~年|~できごと|~解説|
|336|「冠」事件|クテーシポーンによりデーモステネースに黄金の冠を授ける、という提案があったが、ディオニューソス劇場では実際には授けられなかった。|
|330|レオクラテース裁判|リュクールゴスがカイローネイアーの戦いでの脱走容疑でレオークラテースを告発する。|
||「冠」裁判|「冠」事件に関するアイスキネースとクテーシポーン(デーモステネース)間の裁判(Aeschin. 3, D. 18)。アイスキネースは1/5の票も得ることができずに敗れる。彼はロドス島に亡命し、修辞学学校をつくる。|
|324/3|ハルパロス事件|マケドニアーに反乱をおこす機会が訪れる。|

~
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