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Orationes(弁論)

Last updated: 2008/11/5 by MATSUURA Takashi

アッティカの10人の弁論家たち

Lat.Gr.名前Abbr. in LSJ生没年備考
AntiphoἈντιφῶνアンティポーンAntiphoca.480 -- 411
AndocidesἈνδοκίδηςアンドキデースAnd.ca.440 -- ca.390
LysiasΛυσίαςリューシアースLys.ca.445 -- ca.380
IsocratesἸσοκράτηςイソクラテースIsoc.436--338
IsaeusἸσαῖοςイーサイオスIs.ca.415 -- ca.340
DemosthenesΔημοσθένηςデーモステネースD.384--322
AeschinesΑἰσχίνηςアイスキネースAeschin.ca.395 -- ca.322
HyperidesὙπερείδηςヒュペレイデースHyp.390--322
LycurgusΛυκοῦργοςリュクールゴスLycurg.ca.390 -- ca.324
DinarchusΔείναρχοςデイナルコスDin.ca.360 -- ca.290コリントス生まれ

Ruhnken 以来、この10人は紀元前3世紀から紀元後2世紀の間に選ばれたと考えられてきた。

  1. アレクサンドレイアの図書館員たちによって(紀元前3--2世紀)
  2. ペルガモンの修辞学者たちによって
  3. カラクテーのカイキリオスによって(紀元前1世紀の終わり)

おそらくキケローはこの10人が選ばれたことを知らず、クィンティリアーヌスは知っていると考えられることから、紀元前1世紀から紀元後1世紀の可能性が高い。また、ハリカルナッソスのディオニューシオスはこの10人が選ばれていることを知らないと考えられることから、それ以後の可能性が高い。Ian Worthington は、カラクテーのカイキリオス(Caecilius Calactinus)がこの10人を選んだと考えている*1

これらの弁論家の順番は必ずしも同じではない。

Hermog. 2.11
Demosthenes, Lysias, Isaeus, Hyperides, Isocrates, Dinarchus, Aeschines, Antipho, Critias, Lycurgus, Ancdocides
[Plut.] X.Or. (832B--850E)
Antipho, Andocides, Lysias, Isocrates, Isaeus, Aeschines, Lycurgus, Demosthenes, Hyperides, Dinarchus
Phot. Bibl. 259--268
Antipho, Isocrates, Andocides, Lysias, Isaeus, Aeschines, Demosthenes, Hyperides, Dinarchus, Lycurgus

年表

戦争(の開始と終結)は太字になっています。

できごと解説
431ペロポンネーソス戦争開始
404ペロポンネーソス戦争終結
395コリントス戦争開始
387コリントス戦争終結
378/7第2次アテーナイ海上同盟スパルターとペルシアに対抗する。
371ボイオティア戦争開始
362ボイオティア戦争終結
359ピリッポスII世即位マケドニアーの勢力が拡大し始める。
357同盟市戦争開始アテーナイとその同盟市と、キオス・ロドス・コースなどの間で戦争が起こる。
356第3次神聖戦争開始隣保同盟(Amphictyonia)を破ってポーキスがデルポイを占領する。
355同盟市戦争終結マケドニアーがアテーナイ側のアンピポリスを占領し、ペルシアの介入により戦争は終結する。
346第3次神聖戦争終結テッサリアーの要請でマケドニアーが介入し、ポーキスを制圧して戦争が終わる。
ピロクラテースの和平マケドニアー、アテーナイ間の和平が成立する。
338カイローネイアーの戦い8月2日にマケドニアーがアテーナイ・テーバイ連合軍を破り、はじめテーバイを、次にアテーナイを攻め、実質的にギリシアの大部分を支配するに至る。
337コリントス同盟ピリッポスII世がスパルター以外の全ポリスを招集して成立させた同盟。各ポリスに名目上の独立を認めたが、実態としてはギリシアを従属させるものとなった。
336ピリッポスII世暗殺ギリシアではピリッポスII世の死に狂喜する。
アレクサンドロス大王即位スパルターを除く全ギリシアにコリントス同盟を再確認させる。
335テーバイがペルシアの援助を受け、またはじめはアテーナイの支援も受けてマケドニアーに反乱を起こすがすぐに鎮圧される。テーバイに対して厳しい罰が加えられたため、ギリシアには反乱を起こす気をなくさせた。
334ペルシア遠征アレクサンドロス大王がペルシア遠征に出発する。ギリシアとマケドニアーはアンティパトロスに任せる。
331スパルター王アギスIII世がマケドニアーへの戦争を試みるが、従ったのはペロポンネーソス半島の少数の国だけであり、翌年にはアンティパトロスが戦争を終結させる。
324ハルパロスの亡命
323アレクサンドロス大王死去
ラミア戦争ギリシア側がマケドニアーを破る。

弁論家に関わる年表

できごと解説
336「冠」事件クテーシポーンによりデーモステネースに黄金の冠を授ける、という提案があったが、ディオニューソス劇場では実際には授けられなかった。
330レオクラテース裁判リュクールゴスがカイローネイアーの戦いでの脱走容疑でレオークラテースを告発する。
「冠」裁判「冠」事件に関するアイスキネースとクテーシポーン(デーモステネース)間の裁判(Aeschin. 3, D. 18)。アイスキネースは1/5の票も得ることができずに敗れる。彼はロドス島に亡命し、修辞学学校をつくる。
324/3ハルパロス事件マケドニアーに反乱をおこす機会が訪れる。


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*1 I. Worthington, `The Canon of the Ten Attic Orators', in id. (ed.), Persuasion: Greek Rhetoric in Action (London, 1994), 244--263.

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