[[eLearning/Greek]] *Dinarchus(デイナルコス) [#x9000374] >Last updated: 2008/08/16 by MATSUURA Takashi -Δείναρχος (Gr.) -Dinarchus (Lat.) -Deinarchos (Dt.) -Dinarque (Fr.) -Deinarkhos 以下のページも参考にしてください(何人かの弁論家が一緒に扱われている場合があります)。 -eLearning/Greek/Orationes **Vita [#i9a62a47] -D.H. '''Din.''' -Ps.-Plutarch. '''Moralia''' 850b--e -Photius -'''Suda''' ([[Suda On Line:http://www.stoa.org/sol-bin/search.pl?db=REAL&search_method=QUERY&login=guest&enlogin=guest&user_list=LIST&page_num=1&searchstr=dinarchus&field=hw_eng&num_per_page=100]]) |~年|~出典|~できごと|~年|~その他のできごと| ||||336|アレクサンドロス大王即位| |361/0|D.H. '''Din.'''|コリントスに生まれる||| |ante 338||アテーナイに移住する||| |338|Rutilius Rufus|カイロネアの戦いで戦う||| |336/5||logographus になる||| ||||324|ハルパロスがアテナイに亡命しようとする| |323||ハルパロス事件の弁論作成を依頼される||アレクサンドロス大王死去| |307/6||カルキスへ亡命する||| |292/1||アテーナイに戻る||| |? (290?)||死||| コリントスに生まれ、アテーナイに移住して弁論を学ぶ。アテーナイに移住して間もなく、マケドニアのピリッポスII世との戦争で、ギリシア側の兵士として戦った(カイロネアの戦い)。テオプラストス(テオフラストス)に学び、パレーロン(Φάληρον; Phalerum)のデーメートリオス(Δημήτριος; Demetrius)の講義に出席していたらしい。紀元前330年代の中頃から弁論代作者として活動し、かなりの財を成したと考えられている。 紀元前307年、デーメートリオス・ポリオルケーテース(Δημήτριος Πολιορκητής; Demetrius Poliorcetes)がアテーナイからパレーロンのデーメートリオスを追放したので、デイナルコスも亡命せざるを得ず、カルキスへ行き、そこで15年間を過ごした。紀元前290/1年にデーメートリオス・ポリオルケーテースの許しを得てアテーナイに戻る。 //アッティカの10人の弁論家たちの中でただ一人アテーナイ出身ではなく、居留外国人(μέτοικος)であった。 **Orationes [#fc284662] 1--3はいずれもハルパロス事件に関する弁論である。 +[[In Demosthenem / Κατὰ Δημοσθένους (『デーモステネース弾劾』)>eLearning/Greek/Dinarchus/InDemosthenem]] +In Aristogitonum / Κατὰ Ἀριστογείτονος(『アリストゲイトーン弾劾』) +In Philocleum / Κατὰ Φιλοκλέους(『ピロクレース弾劾』) -断片('''Fragmenta''') #include(eLearning/Greek/Dinarchus/Biblio,notitle)