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*アリストパネースの研究史 [#q346b456]

>Last updated: 2009/01/04 by MATSUURA Takashi

//アリストパネースの古注は大きく4つに分けられる(Dickey, 28--31)。
//+古代の古注
//+ツェツェースの古注
//+トーマス・マギステル(Thomas Magister)の古注
//+デーメートリオス・トリクリニオス(Demetrius Triclinius)の古注
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//古代の古注はアレクサンドリア時代にさかのぼり、カッリマコス、エラトステネース、リュコプローンが注を作成したことが知られている。最初の(文章として連続した)注釈を書いたのは、ビュザンティオンのアリストパネースの先生であるエウプロニオス(Euphronius)であると言われている。ビュザンティオンのアリストパネース自身も、梗概、注釈付きの校訂本を作成した。カッリストラトス(Callistratus)とアリスタルコスもおそらく注釈を作成し、ロドスのティーマキダス(Timachidas)は『蛙』の注釈を書いた。
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//これらの注釈をディデュモスが紀元前1世紀の終わり、または紀元後1世紀の初めに集成し、シュンマコスが紀元前1世紀または2世紀にディデュモスを主に用いながら、他の注釈も参考にして新たな注釈本を作成した。
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//ヘーリオドーロス(紀元後100年前後)が書いたアリストパネースの韻律の研究書は、注釈とは別に読まれていた。
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//特に最後の数世紀のビュザンティオンでの研究は、ビュザンティオン三篇選集(『プルートス』『雲』『蛙』)に限られるようになってきたが、ツェツェースとトリクリニオスはそれ以外に関しても注を書いている。ヘーリオドーロスにない韻律の解説はトリクリニオスによるものだと考えられている。エウスタティオスはアリストパネースの注釈を作成したが、現在は断片しか残っていない。新しい古注(scholia recentiora)はモスコプーロスやマクシムス・プラヌデース(Maximus Planudes)によって書かれた。


-文法家アリストパネース(Ἀριστοφάνης Γραμματικός; Aristophanes Grammaticus)
-ビュザンティオン(Βυζάντιον; Byzantium; Byzantine)のアリストパネース(Ἀριστοφάνης Βυζάντιος; Aristophanes Byzantius; Aristophanes of Byzantine)。'''Suda''' s.v. α 3933
我々に伝えられているアリストパネースのテキストは、文法家アリストパネース(Ἀριστοφάνης Γραμματικός; Aristophanes Grammaticus)とも呼ばれる''ビュザンティオン''(Βυζάντιον; Byzantium; Byzantine)''のアリストパネース''(Ἀριστοφάνης Βυζάντιος; Aristophanes Byzantius; Aristophanes of Byzantine; c.257--c.180)が作った、最初の校訂本にその起源を求めることができる。しかし、アリストパネースが死んだ紀元前4世紀前半以降、ビュザンティオンのアリストパネースまで研究が行われてこなかったわけではない。

まず、紀元前4世紀後半にリュケイオン(Λύκειον, Lykeion; Lyceum)でペリパトス派(περιπατητικός; Peripatetic school)の人々が悲劇と喜劇の上演年代と優勝者のリスト作りを行った。アリストパネースの写本の梗概(ὑπόθεσις; hypothesis)に記されている上演年代はこのリストのさかのぼると考えられている。また、この時代には''リュクールゴス''(Λυκοῦργος, Lycurgos; Lycurgus)によって三大悲劇詩人(アイスキュロス、ソポクレース、エウリピデース)のテキストが集められ、アテーナイの公文書庫に収められた。

アリストパネースの研究は、他の多くの詩人たちと同様、''アレクサンドレイア''(Ἀλεξάνδρεια, Alexandreia; Alexandria)において始められた。

エジプトを滅ぼしたアレクサンドロス大王は首都移転先としてのちのアレクサンドレイアを選び、紀元前330年頃から建設が始まる。紀元前323年にアレクサンドロス大王が死去すると、エジプトを引き継いだ''プトレマイオスI世ソーテール''(Πτολεμαῖος αʹ Σωτήρ, Ptolemaios Soter; Ptolemaeus I Soter; Ptolemy of the Saviour; c.367--c.283)は大王へのオマージュとしてこの地をアレクサンドレイアと名付けた。プトレマイオス朝エジプトの初代の王となった彼は王立学術研究所である''ムーセイオン''(Μουσείον, Museion; Museum)を建設し、それに図書館を併設した。これが''アレクサンドレイア図書館''である。ムーセイオンはプトレマイオスI世とベレニケー(Βερενίκη αʹ τῆς Αἰγύπτου)の子''プトレマイオスII世ピラデルポス''(Πτολεμαῖος βʹ Φιλάδελφος, Ptolemaios Philadelphos; Ptolemaeus II Philadelphus; Ptolemy II Philadelphus; 309--246)の治世(283--246)に隆盛を極めた。コース島出身の''ピリタース''(Φιλίτας; Philitas)の弟子(彼はピラデルポスの家庭教師も務めていた)であるエペソス(Ἔφεσος; Ephesus)出身の''ゼーノドトス''(Ζηνόδοτος, Zenodotos; Zenodotus; fl.280)がアレクサンドレイア図書館の初代館長を務めた。

最初の''校訂者''(διορθώτης; critical editor)と呼ばれることからわかるように、ゼーノドトスによって文献学の歴史が始まったといえる。彼は、主に叙事詩の作品の校訂を行った。彼の同僚には''アイトーリアー''(Αἰτωλία; Aetolia)''のアレクサンドロス''(Ἀλέξανδρος ὁ Αἰτωλός; Alexander Aetolus)と''リュコプローン''(Λυκόφρων, Lycophron; Lycophro)がいる。前者は悲劇とサテュロス劇の、後者は喜劇の文献係を務めた。第2代館長は''ロドス''(῾Ρόδος; Rhodes)''のアポッローニオス''(Ἀπολλώνιος Ῥόδιος; Apollonius Rhodius; Apollonius of Rhodes)第3代館長は''キュレーネー''(Κυρήνη; Cyrene)''のエラトステネース''(Ἐρατοσθένης; Eratosthenes)が務めた。第4代館長がビュザンティオンのアリストパネース、第6代館長が''サモトラケ''(Σαμοθράκη; Samothrace)''のアリスタルコス''(Ἀρίσταρχος, Aristarkhos; Aristarchus)である。

-'''Suda''' s.v. α 3933
-ペルガモン(Πέργαμος; Pergamum)
-ディデュモス(Δίδυμος χαλκέντερος, Didymos khalkenteros; Didymus Chalcenterus)χαλκέντερος は「青銅の腸の」という意味である。
-アリスタルコス(Ἀρίσταρχος, Aristarkhos; Aristarchus)
-ゼーノドトス(Ζηνόδοτος, Zenodotos; Zenodotus)
-アイトーリアー(Αἰτωλία; Aetolia)のアレクサンドロス(Ἀλέξανδρος ὁ Αἰτωλός; Alexander Aetolus)
-リュコプローン(, Lycophron; Lycophro)
-シュンマコス(Σύμμαχος, Symmakhos; Symmachus)
-ストラボーン(Στράβων, Strabon; Strabo)
-デーメートリオス(Demetrius Ixion)
-ペッラ(Πέλλα; Pella)マケドニアーの首都
-ペッラ(Πέλλα; Pella)マケドニアの首都
-アンティオケイア(Ἀντιόχεια, Antiokheia; Antiochia; Antioch)
-タルソス(Ταρσός; Tarsus)
-コース(; Cos)
-コース(Κώς; Cos)
-ロドス(Ρόδος; Rhodes)
-カッリマコス(Καλλίμαχος, Kallimakhus; Callimachus)
-エラトステネース(Ἐρατοσθένης; Eratosthenes)
-アッタロスI世(Ἄτταλος Αʹ τῆς Περγάμου; Attalus I)
-エウメネースII世(Εὐμένης Βʹ τῆς Περγάμου; Eumenes II)
-プトレマイオス(Πτολεμαίος; Ptolemaeus)
-ピラデルプス(Φιλάδελφος; Philadelphus)
-マニュエル・モスコプーロス(Mανουὴλ Μοσχόπουλος, Manuel Moskhopoulos; Manuel Moschopulus)
-トーマス・マギステル(Thomas Magister)

**参考文献 [#ja87de8a]

-Austin, C., `The Scholia on Aristophanes', '''CR''' n.s. 51 (2001), .
-Dickey, E., '''Ancient Greek Scholarship''' (Oxford, 2007)
-Dover, K.J., `The Scholia on the '''Knights'''', '''CR''' n.s. 22 (1972), .
- --- `Scholia Recentiora in '''Nubes'''' '''CR''' n.s. 28 (1978), .
- --- `Scholia on Aristophanes', '''CR''' n.s. 31 (1981), .
-Dunbar, N. (ed.), '''Aristophanes: Birds''' (Oxford, 1995)
- --- (ed.), '''Aristophanes: Birds''', Student Edition (Oxford, 1998)
-Keany, J.J., `Notes on Moschopoulos and Aristophanes-Scholia', '''Mnemosyne''' IV 25 (1972), 123--128. [[IngentaConnect:http://www.ingentaconnect.com/content/brill/mne/1972/00000025/00000002/art00002]]
-Zacher, K., '''Die Handschriften und Classen der Aristophanes-scholien''' (Leipzig, 1888) Internet Archive: [[1:http://www.archive.org/details/diehandschrifte00zachgoog]] [[2:http://www.archive.org/details/diehandschrifte01zachgoog]]
- --- `Die schreibung der Aristophanesscholien im Cod. Ven. 474', [['''Philologus''' 41 (1882):http://www.archive.org/details/philologus55archgoog]], 11--51.


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