[[eLearning/Greek/Aristophanes]] *アリストパネースの校訂本 [#m3d4314f] >Last updated: 2009/01/03 by MATSUURA Takashi //現在最も新しい校訂本は、2007年に出た、Wilson によるものである。 -Marcus Musurus (Venetiis [Venezia], 1498) [editio princeps; editio Aldina, Aldine edition] -Bernard Junta [Giunta] (Firenze, 1515) [Iuntina; Juntine edition] -Euphrosynus Boninus (Firenze, 1516) [Appendix Iuntina; appendix to Juntine edition] //-Junta [2] (Firenze, 1525) -F. Invernizi (Lipsiae [Leipzig], 1794) -I. Bekker (Londini [London], 1829) -W. Dindorf (Oxford, 1835--38) -F.H.M. Blaydes (Halis Saxonum [Halle], 1880--93) -N.G. Wilson (Oxford, 2007) 1515年以前の刊本は『リューシストラテー』『テスモポリア祭の女たち』を含んでいない。この2つが初めて刊本に取り入れられるのは1516年の刊本である。 初刊本は、1498年にクレタ島から亡命してきた学者マルクス・ムースールス(Μάρκος Μούσουρος, Marcos Mousouros/Musuros; Marcus Musurus)により校訂され、アルドより出版された(Aldus/Aldo 版)。 //当時は R 写本の存在は知られておらず、E 写本と、L 写本の写しである Schlettstad 347 を(少なくとも)使ったと考えられている。 ウルビーノにかつて存在した R 写本が初めて校訂本出版のために使われたのは Junta の第1版(1515年)であるが、そのあと、いつ、どのようにかはわからないが、所在がわからなくなる。 R 写本はしばらく行方不明になっていたが、おそらく1794年の直前にラヴェンナで再発見され、Invernizi がこれを初めて体系的に取り扱って校訂本を出版した。したがって、R 写本を初めて扱ったのは Invernizi だと言われることがある。 Invernizi の校合(collation)に満足しなかった Bekker は R 写本の校合を1818年に行い、他に V 写本の校合を1812年にパリで、1819年にヴェネツィアで行ったあと、1829年にロンドンで校訂本を出版した。ただし Bekker の読みは必ずしも正確とは言いがたく、批判も受けている(cf. Clark, 153)。 19世紀半ば以降は W. Dindorf のオックスフォード版が主に使われていたが、これは Bekker の写本の読みをそのまま採用したものであった。 Bekker 以降、19世紀半ばまでアリストパネースの写本の校合はまったく行われていなかったが、Clark が1852年と1867年に R 写本を、ザールブリュック(Saarbrück)の Adolf von Velsen が1866--67年に R 写本と V 写本の校合を行って校訂結果を報告している(Clark, 153)。 古注に関しては、Dindorf の校訂本において1837年に M. Miller が校合を行っている。 **参考文献 [#k41cfd8e] -[[Bryn Mawr Classical Review 2008.09.24:http://ccat.sas.upenn.edu/bmcr/2008/2008-09-24.html]] -Austin, C., and Olson, S.D. (eds), '''Aristophanes: Thesmophoriazusae''' (Oxford, 2004), xcix--ci. -Clark, W.C., `On the History of the Ravenna Manuscript of Aristophanes', [['''Journal of Philology''' 3 (1870):http://www.archive.org/details/journalphilolog19jackgoog]], 153--160.