Last updated: 2009/01/03 by MATSUURA Takashi
初刊本は、1498年にクレタ島から亡命してきた学者マルクス・ムースールス(Μάρκος Μούσουρος, Marcos Mousouros/Musuros; Marcus Musurus)により校訂され、アルドより出版された(Aldus/Aldo 版)。
イタリアのウルビーノ図書館にかつて存在した R 写本が初めて校訂本出版のために使われたのは Junta の第1版(1515年)であるが、そのあと、いつ、どのようにかはわからないが、所在がわからなくなる。
R 写本はしばらく行方不明になっていたが、おそらく1794年の直前にラヴェンナで再発見され、Invernizi がこれを初めて体系的に取り扱って校訂本を出版した。したがって、R 写本を初めて扱ったのは Invernizi だと言われることがある。
Invernizi の校合(collation)に満足しなかった Bekker は R 写本の校合を1818年に行い、他に V 写本の校合を1812年にパリで、1819年にヴェネツィアで行ったあと、1829年にロンドンで校訂本を出版した。ただし Bekker の読みは必ずしも正確とは言いがたく、批判も受けている(cf. Clark, 153)。
19世紀半ば以降は W. Dindorf のオックスフォード版が主に使われていたが、これは Bekker の写本の読みをそのまま採用したものであった。
Bekker 以降、19世紀半ばまでアリストパネースの写本の校合はまったく行われていなかったが、Clark が1852年と1867年に R 写本を、ザールブリュック(Saarbrück)の Adolf von Velsen が1866--67年に R 写本と V 写本の校合を行って校訂結果を報告している(Clark, 153)。
古注に関しては、Dindorf の校訂本において1837年に M. Miller が校合を行っている。