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Last updated: 2008/11/16 by MATSUURA Takashi

紀元前3世紀前半にアレクサンドレイアに図書館ができ、そこで優れた弁論家の作品が集められた。それぞれ、本人が書いたものでないものも含めて100以上の弁論が残されていたと考えられるが、今日我々に写本の形で伝えられているのはそのうちのわずかなものにすぎない。最近パピルスの発見によりその数は増えたが、それでも合計して150ほどである。

アレクサンドレイアでは、いわば「全集」の形で弁論が集められていたと考えられるが、数世紀後にはそれらが「選集」としてまとめられ、弁論家の伝記的、文法的、事典的な注釈などがつけられた。これらは、偽プルータルコスの『10人の弁論家の生涯』、ハルポクラティオーンの著作、ポーティオスの著作などの形で残っている。

弁論作品の研究の主流は、すでに古代から文体に対するものが主であった。この分野での古代でもっとも有名な研究家としては、ハリカルナッソスのディオニューシオスが挙げられる。キケローやクィンティリアーヌスのような修辞学研究においても、デーモステネースを除いては、弁論家の作品に注意が向けられることは少なかった。

この傾向は20世紀半ばまで続いたといえる。19世紀には Blass, Jebb, Dobson などによって弁論家の作品が研究されたが、それはディオニューシオスからの流れを汲むもので、主に文体の面からの研究であった。しかし、19世紀から、主に歴史家たちによって、アテーナイの民主制に関する情報源として弁論家の作品を研究する流れもできてきた。最近40年くらいの間には、それより見方を広げて、アテーナイの文化や社会を反映するものとして弁論家の作品が研究される傾向にあり、K.J. Dover や D.M. MacDowell がその代表である。


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