Last updated: 2009/01/05 by MATSUURA Takashi
1515年以前の刊本は『リューシストラテー』『テスモポリア祭の女たち』を含んでいない。Euphrosynus Boninus が1516年に、1515年の Junta の校訂本の付録(appendix)という形で出版した校訂本がその2つを含む初めての刊本である。
初刊本は、1498年にクレタ島出身の学者マルコス・ムースーロス(Μάρκος Μούσουρος, Marcos Mousouros/Musuros; Marcus Musurus)により校訂され、アルドより出版された(Aldus/Aldo 版)。 当時は R 写本の存在は知られておらず、E 写本と、L 写本の写しである Schlettstad 347 を(少なくとも)使ったと考えられている。
ウルビーノにかつて存在した R 写本が初めて校訂本出版のために使われたのは Junta の第1版(1515年)であるが、そのあと、いつ、どのようにかはわからないが、R 写本は所在がわからなくなる。
1783年の Brunck による校訂本は、パリにある A, B, C 写本を参照している点で、テキストの質に向上が見られる。
R 写本はしばらく行方不明になっていたが、おそらく1794年の直前にラヴェンナで再発見され、Invernizzi がこれを初めて体系的に取り扱って校訂本を出版した。
Invernizi の校合(collation)に満足しなかった Bekker は R 写本の校合を1818年に行い、他に V 写本の校合を1812年にパリで、1819年にヴェネツィアで行ったあと、1829年にロンドンで校訂本を出版した。R, V 写本を初めて体系的に扱ったので、Bekker によって近代のアリストパネースのテキストが確立したと言える。ただし Bekker の読みは必ずしも正確とは言いがたく、批判も受けている(cf. Clark, 153)。
19世紀半ば以降は W. Dindorf のオックスフォード版が主に使われていたが、これは Bekker の写本の読みをそのまま採用して校訂したものであった。
Bekker 以降、19世紀半ばまでアリストパネースの写本の校合はまったく行われていなかったが、Clark が1852年と1867年に R 写本を、ザールブリュック(Saarbrück)の Adolf von Velsen が1866--67年に R 写本と V 写本の校合を行って校訂結果を報告している(Clark, 153)。
OCT(Oxford Classical Texts)のアリストパネースの校訂本は100年以上も改訂されてこなかったが、2007年に N.G. Wilson が新しい校訂本を出した。第1巻の序文(Preface)にある通り、これは決定版を目指したものではないが、最近の研究の成果が取り入れられた、よい校訂本である。この校訂本の特徴は、B 写本の位置づけを確立したこと、恣意的な解釈や推測(conjecture)を行っていると長い間批判されてきた Blaydes を(全面的に、というわけではないが)再評価していることである。序文は簡潔なものなので、より詳しくこの校訂本について知りたい場合は Wilson, Aristophanea の、特に1--14ページを見るとよい。