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アイスキュロスの研究史

Last updated: 2009/12/24 by MATSUURA Takashi

アイスキュロスの死後、決議によって劇の復活上演が許可される(T 1.48--49, T 72--77)。アテーナイでは学校の教科書としても使われていたらしい。紀元前4世紀になるとアイスキュロスの人気はそれまでよりも衰えるが、紀元前330年代にアテーナイの公文書館に3大悲劇詩人のテキストを収めることが決議されたことを考えると、依然人気は高かったものと思われる。

アレクサンドレイアには、アイスキュロスのほとんどの作品が伝えられ、よく写されたらしいが、紀元後9世紀にポーティオスが古典作家のテキストを「再発見」したときにはすでに現在と同じ7つの劇しか残っていなかったと考えられる。

特にパライオロゴス朝ルネサンス期に当たる紀元後13世紀以降の研究はビュザンティオン三篇選集(Byzantine triad)、つまり『縛られたプロメーテウス』『テーバイ攻めの七将』『ペルシア人たち』に限られるようになっていく。これらがいつ選ばれたのかについては一致を見ていない。紀元後11--12世紀に選ばれたというのが通説だが、紀元後5--6世紀にはすでに選ばれていたと考える人々もいる。


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Last-modified: 2019-03-30 (土) 04:06:32